I think goat might be a lesbian🐏🌷

It's okay baby, it's okay, just another Tuesday.

invisible string 私小説①

おわりがあるのはいつもちょっと悲しい。さよならもとっても悲しい。

 

私はNiziUのマコちゃんのように、毎日日記を書いてる。こんなに飽き性で、毎日続けられていることは、お散歩と去年の1月にはじめて1年半ほどたったTwitterしかないというのに、どうして日記を書くことは何年も、毎日毎日続けられているのかはとっても不思議だけれど、日記を書くと良いことはたくさんある。その一つは、読み返すのが楽しいこと。

 

過去の自分はいつもおかしい。こうやって今この文章を書いている自分も、一年後の自分が見たら間違いなくどうせへんてこでおかしいことはもう知ってるのでそのあたりは一昨年くらいから諦めるようになった。

 

私はエネルギーが大きくて、飽き性で、毎日ころころと変わっていくので、無慈悲なことにわりとすぐ、1日前の自分が自分の黒歴史になってしまう。それで、そんなに毎日日記を書いているものの、1日前とか、先週とか、1ヶ月前とか、そんな直近の日記は決して読み返せたりはしない。何でかというと、そんなことしたら、羞恥心で一杯になって自分をやめたくなっちゃうから。書いたらあとは、数年経って、ようやく遠くから眺めて愛おしくおかしく思えるようになるまで、決して開いてはいけない!と言わんばかりの日記帳のお墓であたためておく。

 

そんなことはどうでも良く、何だったかというと、日記を読み返すことがお気に入りということ。過去にすがることと、過去の思い出を愛おしく思い返すことは、なんだか自分の中で別の存在と思ってる。数年前の自分の日記ほど愛おしくておかしい読み物ってない! みんなもきっとそうではないかと思っているから今度友達に聞いてみようと思う。直近の日記を自分で読み返せないほど、その時はその時なりの真剣で大真面目に苦しんだり悩んだり嬉しがったりの気持ちを赤裸々に綴っているのだから、ちょっとその時の自分には失礼してるのではないかと気が引けつつ、その真剣さと周りの見えていなさが日記の読み物としてのおかしさを際立たせてくれている。

 

(例えばこれはスポーツにだけ夢中だった高校生の時の日記。「あっさり負けちゃいました。悔しいもなにも、あっさりでした。」誰がそんな日本語と体育会マインドセットを教えてくれたのか!😅)(他にも、I have a big secret I can't tell anyone. とはじまる日記をドキドキしながら読んでいくと、その秘密とは"I like being alone. I like going home alone. I love friends. But still. I don't know what is wrong with me, but I think I like being alone sometimes."だったり!😅)

 

こんな風に、今の自分とは正反対!というような自分や、遠くから微笑んで眺められるほど幼い自分にもたくさん出会うものの、何年も経った今でもおんなじことをずっと変わらず思っていることがあるという事実に気付かされることもある。へんてこなりの精一杯というか、いっぱいいっぱいというか、そんな感じの軌跡をお腹を抱えて笑いながら読み返していたら目に止まったのが、例えば10歳の夏の日記だった。

 

「どう思っても、やっぱりさよならばっかりする人生って辛い。いつもみんなと仲良くなり始めたときは終わりの時。でも思うのは、短い出会いだったからといって、意味のない出会いじゃない。」

 

10歳の夏にこれを思っていた時は、通算15回の引越しのうちの6回目を経験しようとしていた時。ようやく自我が芽生え出した頃の夏休み、グリニーからレンヌに引っ越すことになっていた。それまでも、そしてその10歳の夏を除いたその後も、「引越し」「転校」「お別れ」という言葉を聞くと無意識に心をふっとオフにする癖が私にはずっとあった。心をオフにして、寂しいとも寂しくないとも怖いとも怖くないとも思わないようにする。笑顔で先生たちに挨拶をして、ただ淡々と荷物をまとめて、車に乗り込み、また新しい生活を始めるだけ。きっとそれはそうした現実を受け入れるのに準備ができていなかった子ども時代、生存するためのよくできた本能的な何かだったと思う。だから、10歳のその夏だけが例外だった。携帯電話も持っていなかったし、当時の私にとって引越しは普通に生死のような、2度と会うことがない絶対的な別れのように感じられてたのを覚えてる。みんなと平等に仲良く、でもお別れの時に寂しく思うことがないように、みんなと一定の距離を保つことに特別に精神を使っていた私には、だから、引っ越した後まで積極的に関係が続くような友達はいなかった。それでも、何を思ったか眠っていた寂しさの仕組みが突然に動き出し、お別ればかりの人生が猛烈に辛くなった。

 

グリニーは貧困の町。その頃は、お家の経済環境が、一番悪い時期ではなかったけど、良い時期でもなかった。3歳の時に一度、そして10歳の時にもう一度過ごしたグリニーの生活はでも、小さくて確かな幸せにいっぱい溢れてた。古びた小さなアパルトマンに住んでたある日、兄がj'ai rencontré Mickey!!!(ミッキーマウスがいた!)て騒いでて、母もあらそう!良かったね〜とあしらってたら本当のネズミだったというエピソードは何度思い出しても笑わせてくれる。雨の日に、お家でゆで卵の皮むき大会をしたのも楽しかった。その2年間は父が大きな怪我をしていた頃で、父がいて、母がいて、お兄ちゃんがいて、みんなでちっちゃなお家に住んでいる時間が本当に嬉しかった。父は職業柄いつでもどこかに遠征していることがほとんどだった。小さい頃、父が家を留守にしている期間の母はとても疲れてて、夜中に父との電話でよく喧嘩をしてたのを覚えてる。(2人とも、今とはまるで違う。)

 

そんなグリニーを離れるのに、寂しさの仕組みが動き出したのはきっと偶然じゃなかったのだと振り返って思う。

       

      Lucas

 

お調子者でちょっと怖くて、でも人気者で、宿題をやらずによく先生に呼び出されていた同じクラスのLucasは、私が転校してきてすぐのある日、私が教科書を忘れたのを知ると「君が使った方がいいから。」と自分の教科書をこっそり差し出すと、なんと「教科書を忘れました!」と手を挙げて、私の代わりに先生に怒られた。私は思考が停止して、サッと「私が忘れたんです」と言えなかったその時の、一瞬がどうしようもなく長く感じられた身体と心の締め付けられる感覚を今でもずっと鮮明に覚えてる。その出来事をきっかけにLucasとは、仲良しの友達になった。みんなの前でよく話すわけではないけれど、教室の通路で、廊下で、バス停で、すれ違う時には必ず言葉を交わしていた。

 

そのうちに、Lucasに頼まれて、自習の時間に彼の勉強を私がみることが増えた。Lucasはたぶん、勉強が好きだった。教えるのがどうしようもなく下手な私は、まるで答えへの誘導尋問を行うような、補助輪付きの自転車を嘘をついて補助なし自転車だと差し出すような、勉強を教わるには決して良いとは言えない友達だったけど、Lucasは正解に辿り着くといつも、普段とは別人のようなあどけない満面の笑みを浮かばせて喜んでくれた。

 

彼の家庭はシングルマザーだった。お母さんには彼氏が2人いること、別れた父親の元に双子のお姉ちゃんがいるけどたまにしか会えないこと、お姉ちゃんのことが何よりも大好きなこと、いくつかの秘密を教えてくれた。

 

(続く)